宝いぬ-宝塚大好き家族がつづる公演レビューブログ

宝塚家族の花・月・雪・星・宙と素敵なものブログ

百万円煎餅

 

百万円煎餅なんて景気がよさそうなタイトルに惹かれて思わず手に取った1冊。

日本文学100年の名作第5巻1954-1963 百万円煎餅 (新潮文庫)

百万円煎餅というタイトルは三島由紀夫の作品からで、最近三島由紀夫にはまっている私なので、もしかして運命・・・?ってちょっと思ってしまいました。

新潮社の日本文学100年の名作シリーズの第5巻目だそうです。

このシリーズは第1巻の1914年~1923年の間の作品をあつめたものに始まり、第10巻が2004年~2013年の作品を収録していて、1巻ごとに10年分の歴史が凝縮した日本文学の名作短編が読めるという粋なはからいのアンソロジーのようです。

1954 突堤にて 梅崎春生

突堤に集まる釣り人たちの話。
釣りの常連になってお互いに顔見知りになっても、名前や素性も知らないし、そもそも無関心であるという描写がとってもリアル。

1954 洲崎パラダイス 芝木好子

失職して二言目には死ぬといっている男性と売春で暮らしをしのいでいた過去を持つ女性の駆け落ちカップル。

たくましい女性によって男性は蕎麦屋、女性は料理屋女中の職を得る。
過去の経歴を隠し働く女性に好意を持ち(高級)アパートに囲おうとする常連さんができ、女性も心が揺らぐも、アパートへの引っ越し当日に元の鞘におさまり行方をくらます。

頼りない感じが母性本能をくすぐるのでしょうか?

1957 毛澤西 邱永漢

毛澤西(もちろん毛沢東をもじった偽名)を名乗り、許可証なく違法に新聞を売る大男がつかまり裁判にかけられるも、その風貌と毛澤西という偽名が受け、新聞にのり名物男となる。
毛澤西はお金より安定より、何よりも自由でいたかったんだなと思うラスト。
ワンタンメンが食べたくなる。

1957 マクナマス氏行状記 吉田健一

日本であこぎな商売をしながらも、愛され地位とお金を得る不良外国人マクナマス氏の活躍を描く。

マクナマス氏は飄々としていてなぜか憎めません。こういう人って得だなと思いながらも、日本人がに英語にコンプレックスを持ち、外国人(特に白人)に弱いのは昔も今もあんまり変わっていないなと・・・

1958  寝台の舟  吉行淳之介

女子校教師の私(男性)とミサコを名乗る心は女性の男娼の交わりを描く。
ミサコを女性と思い込み、関係を持とうとするも男色の趣味のない私は不能の状態になり、ミサコを悲しませる。
私の勤務先にミサコから電話がある度にミサコの部屋へいく私であったが・・・

1958 おーい でてこーい 星新一

中学生の時以来に読んだけれど、まったく古びていないし、むしろ今の現状を表しているこの作品と星新一さんの先を見据える眼差しがすごい!

1958 江口の里 有吉佐和子

神父さんとはいえ、人だもんね、普通に食欲はあるし、美女には弱いんだわというグノー神父のキャラクターがかわいい。
幾たびも食事を邪魔される、グノー神父に同情するもその時の様子がリアルに眼に浮かんでなんだか笑えてきてしまう。
グノー神父以上に熱心な信徒の日本人たちがこういう人いかにもいそうという感じでそれもおもしろい。
日本人の性質は昔から、変わっていないな~と感じた。

1959 その木戸を通って 山本周五郎

江戸を舞台にした悲しいファンタジー。
記憶喪失でどこから来たのかわからないふさという女性が家にあらわれ、彼女の姿をみられたことにより、いわゆる逆玉の輿に乗るところが婚約解消になった正四郎。
家を出ていったふさが絡まれた場面で正四郎がたすけるところが、ちょっと宝塚っぽい。雪組っぽいと思いときめきました。
どうやら育ちの良いらしいふさの穏やかな人柄に周囲のみんなが魅了され二人は結婚、子も生まれるが、ある日ふさは子供を残し忽然と姿を消してしまう・・・

1960 百万円煎餅 三島由紀夫

デパートでおばさんと待ち合わせ中の若夫婦。
とっても堅実で夫婦中は良いが子供に苦労をかけないようあと1年から2年ほど子供はうまないと決めている。
普段は無駄遣いしないが夫がおもちゃ売り場で飛ばした玩具のUFOが百万円煎餅の上に落下、縁起が良いとつい気が大きくなり、百万円煎餅を購入し、待ち合わせに時間があったので室内遊園地でも遊んでしまう。夫婦の会話が微笑ましい。
おばさんの正体と二人の職業に驚くも、なんとなくこの夫婦のような職に従事している人たちは意外に堅実そうなイメージは確かにありますね・・・

1960 贅沢貧乏 森茉莉

文豪の森鴎外の娘さんの作者自身がモデルと思われる作品。
贅沢というのはお金をかけるのではなく自分の頭の中で作り出すものだというのが、とっても贅沢な考え方で素敵だと思いました。
少女のように空想の世界に生きながらも、お嬢さん育ちで生活方面に疎く、おそらくちょっと浮いてる自分自身を冷静に客観視しているところもおもしろい。

1961 補陀落渡海記 井上靖

今回のアンソロジーの中で一番心に残った作品です。

補陀落寺の住職には61歳になると渡海するというイメージが根付いてしまったため、本人にその意思はないのに、世間から渡海するものだと勝手に信じられ、渡海せざる得なくなってしまった金光坊が本当に気の毒です・・・
金光坊は渡海=極楽浄土とは信じておらず、渡海=海上での死ということがわかっているので、渡海の日までに渡海の先輩を思い出し彼らを参考に覚悟を決めようとしたり、念仏を唱えまくって恐怖を心から追い払おうとする姿が痛ましいです。
物語の結末も悲壮というか壮絶としか言いようがありませんが、心に残る名作です。

1961 幼児狩り 河野多惠子

元某歌劇団(宝塚歌劇団ではないので安心してください。)を陽の目を見ないまま退団し、現在は得意のイタリア語を活かして生計をたてている晶子は3歳から10歳くらいまでの女の子を非常に嫌悪しながら、反対にその年頃の男の子にはなぜか愛着を持っていて自分には子供はいないのにもかかわらず、つい男の子の衣服を買ってしまう程。
幼児狩りというタイトルですが、実際に晶子が子供を傷つけたりはしないものの、気分が高揚すると想像上で男の子を虐待したり、2歳下の恋人とアパート中に響き渡るようなはげしさで倒錯した行為にふけり、恋人からいざという時のために遺書を書いてほしいと言われているということが淡々とした筆致でかかれているのがこわいです・・・

1962  佐多稲子

足が不自由ながらも、病気の母の生活を少しでも楽にするため故郷富山を離れ、上京し旅館で女中としてまだ20歳にもならない若さながらあたりかまわず働いている幾代のもとに母が危篤という電報と母が亡くなったという電報が立て続けに届く。
旅館の主人は快く富山に帰してくれるかと思えば、危篤の時には富山まで帰る間に命がもたない、亡くなったあとは、もう死んでしまったからいつ帰っても同じと引き留める非道さながら、それを振り切り帰途の道中で母を思い泣き続ける姿が痛ましい。
彼女が自分の身体に引け目を感じないですむのは母の前だけであったと気が付くところには胸が締め付けられます。
小説中の人物ながら彼女の今後の人生が幸せだといいなと願わずにはいられない。

1962 待っている女 山川方夫

妻とちょっとしたことで喧嘩をして、妻が出て行ってしまった夫は家の近所に朝から晩までずっと誰かを待っているように立ち尽くしている美女が気になって仕方がない・・・
奥さんを抱きしめてあげてと言いたくなるようなラスト。
短いながらも美しい冬らしい作品。

1963 山本孫三郎 長谷川伸

敵討ちをしなければいけない身って大変だなと・・・
武士の世界も楽じゃありませんね・・・
先述の渡海と同じように敵討ちをするのを世間から期待されるというのが特につらいと思います。

1963 霊柩車 瀬戸内寂聴

瀬戸内寂聴さんはご自身がたいていの小説よりドラマチックで情熱的な生き方をされてきた方だと思いますが、ご自身の離婚により不仲になってしまったお父さんの死を基軸にお母さんの死の真相。夫と子供がいながら恋をし家を飛び出した後の生活の苦難がかかれています。
寂聴さんはこの作品を書いたことで、自分の過去を肯定し、人生をより前向きにいきようという決意が鮮明になったのではないのかなと思います。

中には初めて読む作家さんもいるため、なんだか得をしたような気分になれました。



スポンサーリンク



読んで頂きありがとうございます

人気ブログを見るなら

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ にほんブログ村

-さな日記
-